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弱肉強食

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東北地方太平洋沖地震

11日金曜日普通に仕事をしていたら下から突き上げられるような揺れ。

一瞬めまいかと思ったのだが、地震だと気が付く。
目の前はガラス窓なので、ガラス窓がミシミシと音を立てはじめた、
可動式のキャビネっとが左右に揺らぎ、揺れるたびにドアが開き、
ドアが開いたりしまったりするバタンバタンという音がフロアに響いた、

かなり揺れが激しく、もう何も手につかずどうしていいかわからない状態、
ちなみに会社は32階建て、自分のフロアは30階、激しく揺れました、
同じ部署の人は最初は声を上げていましたがだんだん誰もが無口に。

揺れるビルの中で「こんなところで死んでたまるか」と思いました。
とにかく息子の無事が確認できるまでは死ぬもんか、と。


長い時間揺れているビルの中、今まで体験したことのない揺れ、
恐怖の時間でした。

揺れがおさまった頃社内放送がありビルは耐震構造なので今のところ大丈夫、
まだ非難しないでその場を動かないでほしい、と言う放送でした。

少し落ち着いた頃、息子の携帯に電話したがつながらなかったので
会社の固定電話から電話したら通じ、無事とのこと。
だけどこれからバイトだからとりあえず店には行ってみる、と言った。

ネットやTwitterの情報で帰りの電車が復旧の見込みがないことを知り、
会社から震災用の地図が配布されていたのでそれを見ながら歩いて帰ろうと決意、
とりあえずスマホからメールはできたので息子にメールを送り連絡。

息子は電車が動いてないから車で家を出てバイト先まで行くというので
息子のバイト先まで行ければ何とかなるだろう、と軽い気持ちで会社を出ることにした、
ちなみに息子のバイト先は草加(埼玉県)私の勤務先は丸の内。

会社を出て歩き始めたら東京駅がパニックだった。
南千住までのバスがある、とバス停が目に入ったがバスは4時間待ち、と言う。
日光街道まで出ればまっすぐなので日光街道を目指した、
同じように歩く人がたくさんいた、コンビニはどこも満員、カフェも満員だった。

歩きだしてから野村證券の本社が見えたので、とりあえずここをまっすぐ、と。
丸の内→銀座→秋葉原と歩く、道路は車の渋滞、歩道は歩いて帰る人であふれていた。
吉牛は「食材がないので閉店」と看板をだし、自転車屋さんには人がたくさんいた、
なるほど、自転車を買って帰る手もあるのか、と感心して歩く。

秋葉原の駅でトイレを借りる、もうすでに人がたくさん、座り込んでいる人も多数、
さすがに寒い、まだまだ先が長いなー、と思いながらまた歩き出す、
が、持病の足が痛み出してきた、うわーもう少し持ってくれ私の足、と
自分で自分を励まし歩く、とりあえず上野に行ったら休もう、と思って上野を目指す、
普段は車で通る道、まさかこの道を歩くなんて思ってもいなかった。

上野で少し休もうと思ったのだが風が強く休める場所もないので歩くことにした、
足が痛くてどうにもならないがストレッチや屈伸などをしてゆっくり歩いた。

どれくらい歩いたかわからないが少し歩くと台東区の公民館があった、
そこでは休憩できます、と案内していたので、ここで休むことにした。
確かその時が20時30分だった、21時まで休んで出よう、と思って休憩した。
買った缶コーヒーが暖かく美味しかった。会社を出たのが18時、2時間歩いた。

もうここですでに足の痛みがピークだったのでここにずっといようかどうか迷う、
が、早く息子に会いたい一心で足の痛みをこらえながら出発。
途中で大きな箱に飴をたくさん入れて「あめどうぞ」と配っている人がいた。
頭の下がる思いだった。

丸の内→銀座→秋葉原→上野、と目標を立て次の目標は北千住、北千住を目指した、
北千住の電話ボックスから息子に電話をすると息子はまだバイト先に着いてない、
道路は渋滞している、とりあえずガソリンを入れたので今は何とかなる、と言った。

また歩き続け、梅田?の交番でトイレを借りた、
交番で道を聞く人たちを見て思ったのだが普段車を運転しない人は道を知らないと。
さすがに一人でずっと歩き続けて心細くなり誰か方向が一緒の人を探して
一緒に歩いて草加を目指そうかと思ったが足が痛いので人と同じペースで歩けない。

荒川を渡るときが一番つらかったかもしれない、とにかく寒かった。
信号待ちをしているところで女の人に道を聞かれた。
同じ方向に向かっているようだったので「私もそっち方面ですよ、頑張ろうね」と
言った、かなり寒かったようでその人はレインコートを着ていた。

足立あたり歩いていたら男の人がチラシを配っていた、なんかの店の広告か?と思ったが
違い避難所案内のチラシを配っていた。
その時道路の標識が草加8キロとなっていた、あと8キロ歩けば草加。と思い
また自分を奮い立たせ歩こうと思ったが、もう足が棒のようだった。かなり痛い。

チラシを観たら徒歩5分のところに避難所があると書いてあったので
どうしようか迷ったが避難所に寄らせてもらうことにした、
この寒い中、道路に立って案内をしている人、毛布を配っている人、
カイロをもらい、お茶をもらい、毛布の暖かさとお茶の美味しさに涙が出た、
何か手伝えることがあればやろう、と思ったがもう足が動かない。
そこで無力な自分に腹が立った、泣くことしかできなかった、悔しかった。

ネットの情報で東武線は動かないことを知り、ここで寝てもいいかとあきらめてた所
しばらく休んでいたら息子から電話があり、バイト先に着いたが12時に閉店になる、
それからでよかったらそこまで迎えに行くからそこで待っててくれればいいよ、と
優しいことを言ってくれた。その時23時を過ぎていただろうか?

息子が迎えに来るまで横になることにした。息子がいてくれて本当に良かったと思った。
普段人生ソロ活動などとつっぱっているが他人の優しさにも感謝でいっぱい。
カイロありますよ、お茶ありますよ、と声をかけて頂いた、本当に感謝だ。

横になっていたら息子から電話があり、避難所の近くまで来たよ、と言われ
避難所を出る、その時も大丈夫か声をかけてもらった、
寒いのにずっと外に立って通る人を案内して声をかけている、ありがたいことだ。
中には「ここに朝までいても大丈夫」と言ってくれた人もいた。

避難所を出て息子がいる場所まで行く、さすがに12時過ぎたので歩く人も少ない、
でもまだ道路は渋滞だった。息子が待っているところまで歩いて車が見えた時は感動。
車に乗ると息子が運転を変わってほしいというので私が運転して帰ることにした、

帰りに音楽を聴きながらお互いの話をして、おなかすいたのでマックへ行って食べた、
その時2時を過ぎていた、息子は携帯のナビで渋滞を避けて避難所まで来てくれたらしい。
すごく長い半日でした、無事に家に着きましたが家の中のDVDとCDがぐちゃぐちゃ。

でももう疲れ切っていたので横になった、でも余震で寝れなかった。
by fate7219 | 2011-03-12 23:15 | 家族
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